【意味づけシリーズ】社会構成主義とかポストモダンは参考になると思う
大企業に行っても幸せじゃない、
社会貢献のためにお金はないけどNPO楽しい
のような方が増えて、
キャリアにおいて、正解がどんどんなくなっていく時代。
その中で、自分で「主体的にキャリアに意味づけ」する
ことが重要であると感じている。
それを提唱するのが、ナラティブカウンセリングという
考え方です。自分の人生をストーリーにすることで、意味を持たせることができます。
今日は、そのそもそも母体となった社会構成主義について、
キャリア目線から書いて見ます。
<思想の流れ>
存在論から関係論へ
自分という存在について、確固たるアイデンティティがあって、こういう人格だと
いうのが決定している、個性が自立しているのが存在論的な考え方です。
この世界だと、Aという存在とBという存在が別々に自立しているので、
Aが正しいと思う主張とBの主張が食い違うとケンカになります。
そうするとAとBはよそもの、別物ということで反発してしまうことがあります。
でもそもそも、絶対的に正しいことなんでないじゃないですか。
その場その場で正しいことは変わるし、自分の性格だって相手によって明るかったり、
気難しかったりするじゃないですか。
つまり、「あるのは人と人の関係だけだよ」というのが関係論の考え方です。
<これをキャリアに派生させてみると>
絶対的に素晴らしい職業というのは存在しないって話です。
医者も、弁護士も、コンサルも大統領も尊敬される職業だとしても、
その人が意味を感じコミットできなければ苦行になります。
キャリアを選ぶ人とその職業との「関係」が重要なのです。
ただ、この関係は厄介です。
自分の思いだけでなく、「社会の思い」が入ってくるからです。
つまり、社会が弁護士を素晴らしいと位置付けていると、その価値観が自然と
個人の意識にも浸透して、弁護士っていいよねという意識を醸成します。
「親の思い」も入ります。医者のお父さんは息子に医者になることを望みます。
表面的に医者になれと言っていなかったとしても、子供は親の働く姿をみて医者という職業に意味を感じるようになり、無意識に医者っていいよね。となります。
これはフランスの社会学者ピエール・ブルデューが「ハビトゥス」とか「地位の再生産」と呼んだものに限りなく近いです。
何が言いたいかっていうと、
人のキャリア選択する際に、無意識のうちに社会や周りの人間の価値観が入り込んでいます。まず、その社会と自分の「関係」を自覚しましょう。
さらに、自分の気持ちを考えます。
自分の気持ちが自分の内発的動機によって出てきているのか、
社会の思いが込められているのか、をまず区別しましょう。
社会の思いも素晴らしいです。
環境問題が必要だと訴える映画がなければ環境活動家のグレタさんはあんな行動まで
移さなかったかもしれません。
本当、結論は「答えはひとそれぞれだよ」ってなってしまって陳腐なんですけど‥
それをどうやって選択し、自分で意味を再定義できるかというのが
これから書いていくことになる内容です。
おわり